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エントリーNO.56
岩波文庫を1ページ読書

           解説文(「岩波文庫解説総目録」より引用)
魏・呉・蜀三国対立時代の中国。変転きわまりない局面のなかで、 劉備・関羽・張飛の義兄弟と師孔明、あい対する曹操・曹丕の親子、また孫権など、 知力と武勇のかぎりをつくして戦う英雄豪傑たち。 そしてついに晋に統一されるまでを描いた一大ロマン。 気品ある清麗な名訳に北斎門下の鬼才葛飾戴斗の版画を多数加えた完訳決定版。

発行
 岩波文庫 1988年7月7日 第1刷
訳者名
 小川 環樹 (おがわ たまき)
タイトル
 三国志 (さんごくし) 全8冊
                    上記著作より、本文書き出し1ページを引用

 そもそも天下の大勢、分かれて久しくなれば必ず合一し、合一久しくなれば必ずまた分かれるのが常である。 (しゅう) の末、中国は七の国々に分れて争ったが、 みな (しん) に合併された。 秦の亡びたのち、 () (かん) とが分かれて争ったが、 またも併せられて (かん) となった。 漢朝は、 高祖(こうそ) 白蛇(はくじゃ) を切りすてて旗を揚げたのに始まり、ついに天下を一統した。 のち 光武(こうぶ) 皇帝の中興より、 つづいて (けん) 帝まで伝わったが、ここに分かれて三国となった。 その乱れのもとを () したずねてみるに、 まずは (かん) (れい) 二帝のときに始まったといってよいであろう。 桓帝はただしき党人を追放にして、 宦官(かんがん) らのことばを信用しきっていた。 桓帝かくれて、霊帝が位に () きたもうや、 大将軍とう武と 太傳(たいふ) 陳蕃(ちんばん) が、ともどもに輔佐となった。 ときに宦官 曹節(そうせつ) らが権力を (わたくし) し、 とう武と陳蕃はこれを (ちゅう) しようとはかったが、 企てがもれて、かえって命を失い、宦官は、これよりいよいよ無道をきわめるのであった。
  建寧(けんねい) 二年(西暦一六九年)四月十五日、 皇帝(みかど) 温徳(おんとく) 殿にいでましたまい、 玉座にのぼられたとき、御殿の片隅より狂風にわかに吹きおこって、 見る見る一ぴきの大青 (へび) (はり) の上より飛び下り、玉座のいすにわだかまった。
  (サイト管理人 注 八行目の人名”とう武”の”とう”該当漢字見当たらず)

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