エントリーNO.500
岩波文庫を1ページ読書
可愛い女・犬を連れた奥さん

解説文(「岩波文庫解説総目録」或いは、表紙より引用)

本書に収められた3篇は、晩年の沈潜期にさしかかりつつあったチェーホフ(1860-1904)が、 みじめで哀れでもあれば、滑稽で愛すべきところもある人間の姿を、抑制された円熟の筆致で描いたものである。 原作のもつ気品と美しくしなやかな詩情、そこはかとないしみじみとした深い味わいを、 みごとな日本語に移した達意の名訳。

発行
岩波文庫 2004年9月16日 第1刷
著者名
チェーホフ  
タイトル
可愛い女・犬を連れた奥さん (かわいいおんな・いぬをつれたおくさん) 他1篇  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

    犬を連れた奥さん
    一
 海岸通りに新しい顔が現れたという噂であった----犬を連れた奥さんが。 ドミートリイ・ドミートリチ・グーロフは、ヤールタに来てからもう二週間になり、 この土地にも慣れたので、やはりそろそろ新しい顔に興味を持ちだした。 ヴェルネ喫茶店に坐っていると、海岸通りを若い奥さんの通って行くのが見えた。 小柄な 薄色髪(ブロンド) の婦人で、ベレ帽をかぶっている。 あとからスピッツ種の白い子犬が () けて行った。
 それからも彼は、市立公園や (つじ) の広場で、日に幾度となくその人に出逢った。 彼女は一人っきりで、いつ見ても同じベレをかぶり、白いスピッツ犬を連れて散歩していた。 誰ひとり彼女の身許を知った人はなく、ただ簡単に『犬を連れた奥さん』と呼んでいた。
 『あの女が 良人(おっと) も知合いも連れずに来てるのなら』とグーロフは胸算用をするのだった、 『ひとつ付き合ってみるのも悪くはないな』
 彼はまだ四十の声も聞かないのに、十二になる娘が一人と、中学に通っている息子が二人あった。


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