エントリーNO.469
岩波文庫を1ページ読書
田沼時代

解説文(「岩波文庫解説総目録」或いは、表紙より引用)

老中田沼意次が賄賂政治を行なった腐敗時代。これが世間にまたアカデミズムに通用していた田沼時代に対する常識であった。 だが著者(1877-1955)は、1915年早くも、時代の趨勢が一政治家によって変わるものではないといい、この時期に民権が発達し因習が否定され開国思想が培われたと指摘する。 戦後、近世史研究の起点ともなった書。解説=佐々木潤之介

発行
岩波文庫 1984年1月20日 第5刷
著者名
辻 善之助 (つじ ぜんのすけ)  
タイトル
田沼時代 (たぬまじだい)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

    第一  意次の専権
 従来田沼時代における現象について、最も世の非難を受ける事柄を調べて見ると、およそ八か条ばかりある。
 第一は先ず田沼の専権の事実である。そもそも田沼意次は専左衛門 意行(おきゆき) 嫡子(ちゃくし) として、 (もと) は紀州の士であった。専左衛門意行、和歌山において吉宗に召使われ、 吉宗が八代将軍となった時に、付いて江戸に来たのである。そうして享保九〔一七二四〕年に叙爵して、 主殿頭(とのものかみ) となった。 十年を経て、意次は西丸の 御小性(おこしょう) となった。 享保二十〔一七三五〕年意行が死んで、意次が家を嗣ぎ、家重に (つか) えて、 宝暦元〔一七五一〕年に 御側衆(おそばしゅう) となった。 八〔一七五八〕年の九月には万石の家となって大名に列し、宝暦十二〔一七六二〕年に五千石を加えられて、一万五千石となった。 これからその才を現わして、明和四〔一七六七〕年には御側御用人となり、また加増せられて二万石となり、遠州 相良(さがら) に城を築いて、城主の列に入れられたのである。


copyrighit (c) 2011 岩波文庫を1ページ読書