エントリーNO.448
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懺悔道としての哲学

解説文(「岩波文庫解説総目録」或いは、表紙より引用)

田辺宗教哲学の代表作である『懺悔道としての哲学』と、 関連論文三篇を収録。戦争中に自らの哲学の無力を痛感した田辺は、 同一性の立場にとどまる哲学を否定、「哲学ならぬ哲学」を追求する。 その思索は、Metanoetik-理性の哲学を超えるもの-としての「懺悔道」の哲学として結実する。

発行
岩波文庫 2010年10月15日 第1刷
著者名
田辺 元 (たなべ はじめ)  
タイトル
懺悔道としての哲学 (ざんげどうとしてのてつがく)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

    懺悔道--Metanoetik--
    一
 私の講演の題は 懺悔道(ざんげどう) と申しますが、 哲学の話として懺悔あるいは懺悔道とは変わった事を言うように御思いになられるかも判りません。 一体如何なる事を述べる積りであるか御見当が御附きにならぬかとも思われます故、 始に当り懺悔の言葉の意味を規定して置きます。 私にとって懺悔の道は哲学の道であり、哲学の歩む道は懺悔の道に外なりません。 懺悔と言う言葉には色々の意味が附随して居り、日常において普通に使用される用語でありますが、 これを哲学の用語として新しく使用するためには多少ともその概念を規定して置く必要があります。 私の用いる懺悔は通常の懺悔の概念を意味しないと共にまた通常の概念以上のものを意味する。 普通に懺悔と言えば過去の所行に対する後悔とそれに伴う無力感、つまり無力の意識から来る感情の消極な---昂揚とは反対の---萎縮・沈滞を意味する。 かかる消極的な懺悔(Repenntannce)に関してカトリックではこれを徳とするも、スピノザは二重の無力と言う。 すなわち過去に対する無力と現在において活動性を失う故の無力として二重の無力であり、従って美徳ではないと述べて居る。 スピノザが二重の無力と極印を押した懺悔と私の懺悔とは相異なる。


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