エントリーNO.427
岩波文庫を1ページ読書
排蘆小船・石上私淑言

解説文(「岩波文庫解説総目録」或いは、表紙より引用)

宝暦13年、34歳の本居宣長にはすぐれた二つの歌論があった。 だが生涯公表されることなく、筐底に秘めて置かれた。 当世和歌の現状に対し歌とは何かを問う処女作『排蘆小船(あしわけおぶね)』、 そこでの〈心に思ふこと〉は「石上私淑言」で〈物のあわれをしる心〉ととらえ直され一大歌論を切り拓く。 合せ鏡のごとく宣長思想を映しだす二作品を併載。

発行
岩波文庫 2003年3月14日 第1刷
著者名
本居 宣長 (もとおり のりなが)  
タイトル
排蘆小船・石上私淑言 (あしわけおぶね・いそのかみささめごと)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

    あしわけをぶね
 歌の用 ○問ふ、歌は天下の政道をたすくる道也。いたづらにもてあそび物と思ふべからず。 この故に古今の序に、この心みえたり。此義いかゞ。 答へて曰はく、非也。歌の本体、政治をたすくるためにもあらず。身をおさむる為にもあらず。 たゞ心に思ふことをいふより外なし。其内に政のたすけとなる歌もあるべし。 身のいましめとなる歌もあるべし。又国家の害ともなるべし。身のわざはいともなるべし。 みな其人の心により () で来る歌によるべし。 悪事にも用ひられ、善事にも用ひられ、 (きょう) にも (うれい) にも (おもい) にも (よろこび) にも (いかり) にも、 何事にも用ひらる也。其心のあらはるゝ所にして、かつその (ことば) 幽玄なれば鬼神もこれに感ずるなり。 古今序の (こころ) はあしく心得へばさ思はるゝことなれど、 これは、むかしは人の心すなほにして、たゞ (いましめ) にのみしたると云ふは、 歌の本然を云ふにあらず。時代の人の心をいへり。かつ 淫奔(いんぼん) などのうきたることにのみ用ゆることぞと心えて、 そのやうのことにのみ用ゆるゆへにかくいひて、歌のをとろへをなげく也。


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