エントリーNO.424
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イタリア紀行

解説文(「岩波文庫解説総目録」或いは、表紙より引用)

一七八六年九月、ゲーテ(1749-1832)はワイマルでの煩瑣な生活からのがれるため、 長年の憧れの土地イタリアへと、まっしぐらに駅馬車を駆り出した。 この出発こそ、詩人ゲーテを完成し、ドイツ古典主義を確立させるきっかけとなるものであった。(全3冊)

発行
岩波文庫 2002年11月15日 第58刷
著者名
ゲーテ  
タイトル
イタリア紀行 (イタリアきこう) 全三冊  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

    カールスバートからブレンナーまで
 一七八六年九月四日、レーゲンスブルクにて。
 九月三日の朝三時に、私はこっそりとカールスバートを抜け出した。そうでもしなければ、とても旅には出られそうにもなかったので。 八月二十八日の私の誕生日を、心から親切に祝ってくれようとしていた連中は、それだけで十分、私を引きとめる理由をもっていたわけだ。 が、それ以上この地に長居をするわけにはいかなかった。 私は旅嚢と 穴熊皮(あなぐまがわ) (かばん) とを用意しただけで、 ただひとり郵便馬車に乗りこみ、美しい静かな霧の朝七時半にはツウォータについた。 上空の雲は (しま) をなして羊毛のごとく、下方の雲は重く垂れさがっていた。 それは吉凶のように思われた。夏じゅうは (いや) な日ばかり続いたが、秋は爽やかな日々が迎えられそうな気がした。 十二時にはエーガーにつく。日射しがなかなか暑かった。すると私はこの地が私の故郷と同じ 緯度(いど) にあたることに思いつき、 ふたたび北緯五十度の碧空の下で昼食をとりうることを嬉しく思った。
 バイエルンでは、まず人目につくのはワルトザッセンの修道院だ----僧侶たちの貴重な所有であるが、この連中はもとは普通の人間よりもよほど利口だったのだ。 この修道院は、 (かま) というほどでもないが、皿の底のような地形の優雅な草原の 窪地(くぼち) にあって、 まわりは豊饒なゆるやかな丘陵に囲まれている。それにこの僧院はまたこの地方に広大な地面を領している。 地質は 粘板岩(ねんばんがん) のくずれたものである。 またこのような山地にあって、分解もせず、風化もしない石英というものは、畑地を柔軟にかつきわめて豊饒ならしめるものである。


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