エントリーNO.333
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道元禅師の話

解説文(「岩波文庫解説総目録」或いは、表紙より引用)

道元についても、禅宗についても、「幼児に等しい無智」であった著者が、 ふとした機縁でこの巨人の生涯と格闘することになる。 文献を渉猟し、自分の頭で読み解いてゆく----。 禅師七百回忌の「饅頭本」で終らせないためにも「見て来たような嘘」だけはつかない、 と語る作家里見ク(1888-1983)の描く道元禅師像。(解説=水上勉)

発行
岩波文庫 1994年10月25日 第3刷
著者名
里見 ク (さとみ とん)  
タイトル
道元禅師の話 (どうげんぜんじのはなし)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

    敢行と断念
 あらゆる既成宗教の、どれ一つの経典や教義を学んだこともなく、また「溺るる者は藁をもつかむ」というような、 人間生れながらの、つまりは虫のいい依頼心は別として、 「信心」「信仰」「帰依」というような言葉で呼ばれる心の拠りどころを () たない、 全然無宗教と言ってよい私が、ふとした 機縁(きっかけ) から、 今春(昭和二十七年四月) 道元禅師(どうげんぜんじ) の七百回 遠忌(おんき) を営むに当り、 記念事業の一つとして、曹洞宗本山の当局、並にその指定を受けた某出版書肆から、伝記、あるいはむしろ伝記的小説を執筆してくれぬかとの依頼に接し、 逡巡(しゅんじゅん) 一歳有余、 遂にこれを引き受けてしまった。 ----図々しいにもほどがある!と、禅語にいうところの「一喝」や「痛棒」を (くら) ってあたりまえ、 同時にまた、一言半句もなく引き 退(さが) ろうが、 馬耳東風と聞き流そうが、「基本的人権」などいう 流行語(はやりことば) をもちだすまでもなく、 そこは本人の決心次第、もっと荒っぽい言い方をすれば、こっちの勝手だった。 もっとも、よく成し得るか、失敗に終わるかは、はっきりとまた別問題で----。
(サイト管理人 注 「つかむ」旧漢字見当たらず)


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