エントリーNO.314
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石橋湛山評論集

解説文(「岩波文庫解説総目録」或いは、表紙より引用)

明治44年から敗戦直後まで、『東洋経済新報』において健筆を揮った石橋湛山(1884-1973)の評論は、 普選問題、ロシア革命、三・一独立運動、満州事変等についての評論のどれをとっても、 日本にほとんど比類のない自由主義の論調に貫かれており、 非武装・非侵略という日本国憲法の精神を見事なまでに先取していた。 39篇を精選。

発行
岩波文庫 1989年12月15日 第12刷
著者名
石橋 湛山 (いしばし たんざん)  
タイトル
石橋湛山評論集 (いしばしたんざんひょうろんしゅう)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

    T  急進的自由主義の出発 1912〜1213
  問題の社会化
                 明治四五年四月号 『東洋時論』「文芸 教学」
 かつてドイツ社会民主党の首領にして、 ベーベルの師であったウイルヘルム・リーブクネヒトはアメリカのバルチモーアにおいて演説して「諸君は常に我らアメリカ人は自由を有すといって誇称するが、 しかし自由とはそもそもいかなる価値を有するものであるか。 誰かそれを着物として着得たものがあったか。誰かそれを家屋としてその中に住まい得たものがあったか。 誰かそれを食物としてそれによってその胃の () の要求を () たし得たものがあったか」 と呼んだということであるが、我々はこの言葉の中に、なかなかの真理を含んでおることを思うのである。 勿論彼はマルクスの継承者である。而してもしその偏した経済的唯物観に向かって非難したならば、 いくらでも非難の余地もあれば、またその点において我々もはなはだあきたらず思うのであるが、 しかしそれにもかかわらず我々はなお彼の言葉の中に多くの真理を認めないわけに行かぬ。 彼はまたこういうておる。「自由とはただ総ての希望を (おお) い包める伝習的の言葉にすぎない」と。 即ち彼の意味は、自由自由というてもただ漠然と言葉の上で自由というたのでは、何の役にも立たない、我らに必要なのはその具体的の内容である、 何をする、どうする、これが今日の問題であるというのである。


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