エントリーNO.306
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余は如何にして基督信徒となりし乎

解説文(「岩波文庫解説総目録」或いは、表紙より引用)

本書はキリスト教文学としてひとり日本における古典的代表作たるにとどまらず、 あまねく欧米にまでその名声を博した世界的名著。 懐疑と感謝、絶望と希望、悲哀と歓喜、----主人公である「余」の「回心してゆく姿」は、 著者独特の力強い文章をもって発展的に記述され読者をしてその魂を揺さぶらしめる何ものかを蔵している。

発行
岩波文庫 1983年11月20日 第41刷
著者名
内村 鑑三 (うちむら かんぞう)  
タイトル
余は如何にして基督信徒となりし乎 (よはいかにしてキリストしんととなりしか)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

    第一章  異教
 余は、グレゴリー暦によれば、一八六一年三月二三日に生れた。余の家は武士階級に属していた、 それゆえに 揺かご(ゆりかご) の中からして余の生まれたのは戦うため、 ----生くるは戦うなり(vivere est militare)----であった。 余の父方の祖父は、全身これ武士であった。 彼は竹の弓、 (きじ) の羽の矢、 五十ポンド 火縄銃(ひなわじゅう) でよそおった重々しい武具をつけて現れる時ほど幸福なことはなかった。 彼は国土が平和であることを嘆き、自分の家業を実際に用いることができなかったことを遺憾として死んだ。 余の父はもっと教養があり、りっぱな詩を作ることができ、人を 統率(とうそつ) する術に長じていた。 彼もまたなみなみならぬ軍事的能力のある人であって、はなはだ 騒然(そうぜん) たる一部隊をあっぱれな 手際(てぎわ) で指揮することができた。 ---- 母方(ははかた) では、余の祖父は本質的に正直者であった。 この輝かしい利己主義時代に正直が一つの才能と称され得るならば、じつに彼には正直のほかにはわずかの才能しかなかった。 彼についてこういう話がある、いくらかの公金を高利で貸付けるように (たの) まれた時(小地方領主の会計係にきわめて普通の習慣であって、彼らはもちろん利息の全部を着服したのである)、 余の祖父は上役に従わないで彼らの気持を (そこな) うにはあまりに賢明であった、 しかし貧しい 借手(かりて) から法外な 歩合(ぶあい) を取立てるにはあまりに良心的であった、 そこで彼はその金を自分の手もとにしまっておき、 期限が切れるや自分の (ふところ) からそれに高い利息をつけて 高利貸的(こうりがしてき) 役人にそれを返したというのである。
(サイト管理人 注 「ゆりかご」 の「かご」旧漢字見当たらず 「竹かんむりに監」)


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