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エントリーNO.287
岩波文庫を1ページ読書
駱駝祥子

解説文(「岩波文庫解説総目録」より引用)

筋骨たくましい人力車夫、祥子青年は来る日も来る日も北平(北京)中をひた走りに走る。 そう、彼には「理想」があったのだ、何としても自前の車を手に入れたいという。 こうして3年、刻苦勉励はみごとに報われた。 けれども----。きっすいの北京っ子老舎(1899-1966)が、その愛してやまぬ裏町の住人たちの悲喜哀歓を心をこめて描いた代表作。

発行
岩波文庫 1984年5月16日 第4刷
著者名
老舎 (ろうしゃ)  
タイトル
駱駝祥子 (らくだのシアンツ)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

     駱駝祥子(ロートシアンツ)
   一
 私がここに紹介しようと思っているのは 祥子(シアンツ) のことであって、 駱駝(らくだ) のことではない。 というのは、「駱駝」はたんなるあだなにすぎないからであるが、そうであるからは、まず祥子のことからはじめて、 祥子と駱駝との関係に触れてゆくのが筋というものだろう。
  北平(ペイピン) (国民党政府が南京を首都としていた時期の北京の呼称)の車引きにもいろいろある。 若くて力があり、足が達者なものは、おなじ借りるにも新車をえらび、「日ぎめ」で借りきって、好き勝手にやる。 (かせ) ぎにでても、 きまった立て場かお屋敷の門の前で急ぎの客のつくのを待つ。で、運がよければひとっ走りで一円二円と稼ぐときもあり、また、 () がわるければまる一日棒にふって損料もでないときもあるが、 てんから気にしない。 この連中の望みはだいたいふたつで、お抱えになるか、自前の車をもつかである。 自前の車さえもってしまえば、お抱えであろうが 辻待(つじま) ちであろうが思うままだ。 どのみち車は自分のものなのだから。
 この連中よりやや年をくったもの、また、からだのぐあいで早くとばすことができない者、家族をかかえてその日暮らしをしている者は、 たいてい新車同様の中古車を借りる。人も車もまあまあといったところなので、値の駆引きにもだいぶはったりをきかすことができる。


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