エントリーNO.222
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聖なるもの

解説文(「岩波文庫解説総目録」より引用)

感情や予覚による圧倒的な「聖なるもの」の経験が存在する。 オットー(1869-1937)はその本質を「ヌミノーゼ」と名づけ、 現象学的、宗教哲学的考察を展開する。 キリスト教神学のみならず哲学・比較宗教学にも多大な影響を与えた。 20世紀を代表する宗教学の基礎的名著。新訳。

発行
岩波文庫 2010年2月16日 第1刷
著者名
オットー  
タイトル
聖なるもの (せいなるもの)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

  聖なるもの
    神的なものの観念における非合理的なもの、
    およびそれの合理的なものとの関係について
 第一章 合理と非合理
 (一)人格神を信仰対象とする宗教全般、とくにその典型であるキリスト教の神観念の本質的な特徴とは、 神的な存在が、精神、理性、意思、決意、善意、権能、統合的本性、意識などといった人格的な特性を表わす用語で明確に把握され、 表現されるということである。 つまり、人間が自分自身のなかで、限られた不十分なかたちで自覚しているような人格的・理性的な要素を神に当てはめて考えるということである (同時に神の場合、前出の人格的な特性を表わす用語はみな、「絶対的な」、つまり「完全な」ものだと考えられている)。
 ところで、このような人格的な特性を表わす用語はみな、間違いなくれっきとした概念である。 だから 思惟(しい) の対象にすることも、分析的に考えることも、また定義することもできる。 概念として明瞭に思考の対象にすることができるそのようなものを、かりに合理的と呼ぶならば、そういう用語で言い表わされる神の本質も、やはり合理的なものと呼ぶべきである。 そして、そうした特性を表わす用語を認め主張する宗教は、その限りで合理的宗教と言える。


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