エントリーNO.187
岩波文庫を1ページ読書
歯車

解説文(「岩波文庫解説総目録」より引用)

芥川竜之介(1892-1927)最晩年の代表作三篇。 『玄鶴山房』の暗澹たる世界は作者のみた人生というものの最も偽りのない姿であり『歯車』には自ら死を決意した人の死を待つ日々の心情が端的に反映されている。 『或阿呆の一生』は芥川という1人の人間が自らの一生にくだした総決算といってよい。(解説=中村真一郎)

発行
岩波文庫 1995年12月5日 第41刷
著者名
芥川竜之介 (あくたがわりゅのすけ)  
タイトル
歯車 (はぐるま) 他2篇  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

    玄鶴山房
   一
 ----それは小ぢんまりと出来上った。 奥床(おくゆか) しい門構えの家だった。 (もっと) もこの 界隈(かいわい) にはこういう家も珍しくなかった。 が、「 玄鶴山房(げんかくさんぼう) の額や (へい) 越しに見える庭木などはどの家よりも 数寄(すき) () らしていた。  この家の主人、 堀越玄鶴(ほりこしげんかく) は画家としても多少は知られていた。 しかし資産を作ったのはゴム印の特許を受けたためだった。あるいはゴム印の特許を受けてから 地所(じしょ) の売買をしたためだった。 現に彼が持っていた郊外の (ある) 地面などは 生姜(しょうが) さえ (ろく) に出来ないらしかった。 けれども今はもう 赤瓦(あかがわら) の家や青瓦の家の立ち並んだいわゆる「文化村」に変わっていた。----
 しかし「玄鶴山房」はとにかく小ぢんまりと出来上った、奥床しい門構えの家だった。 (こと) に近頃は 見越(みこ) しの松に雪よけの縄がかかったり、玄関の前に敷いた枯れ松葉に 薮柑子(やぶこうじ) の実が赤らんだり、 一層風流に見えるのだった。 のみならずこの家のある 横町(よこちょう) (ほとん) ど人通りというものはなかった。 豆腐屋(とうふや) さえそこを通る時には荷を大通りへおろしたなり、 喇叭(ラッパ) を吹いて通るだけだった。
 「玄鶴山房----玄鶴というのは (なん) だろうか?」
 たまたまこの家の前を通りかかった、髪の毛の長い 画学生(ががくせい) は細長い絵の具箱を小脇にしたまま、同じ 金ボタン(きんぼたん) の制服を着たもう一人の画学生にこう言ったりした。
(サイト管理人 注 金ボタンの”ボタン”旧字見当たらず)


copyrighit (c) 2011 岩波文庫を1ページ読書