エントリーNO.174
岩波文庫を1ページ読書
悪魔の涎・追い求める男

解説文(「岩波文庫解説総目録」より引用)

夕暮れの公園で何気なく撮った1枚の写真から、現実と非現実の交錯する不可思議な世界が生まれる。 「悪魔の涎」。薬物への耽溺とジャズの即興演奏のなかに彼岸を垣間見るサックス奏者を描いた「追い求める男」。 斬新な実験性と幻想的な作風でラテンアメリカ文学界に独自の位置を占めるアルゼンチンの作家コルタサル(1914-1984)の代表作10篇を収録。

発行
岩波文庫 1992年7月16日 第1刷
著者名
コルタサル  
タイトル
悪魔の涎・追い求める男 (あくまのよだれ・おいもとめるおとこ) 他8篇  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

 彼は数日前にその小説を読みはじめた。急用があって一度投げ出したが、農場にもどる列車の中でふたたび手に取ってみた。 物語の筋と人物描写が少しずつ彼の興味を引きはじめた。 午後は代理人に手紙を書き、農場の管理人と共同経営のことを話し合った。 そのあと、樫の木の公園に面した静かな書斎で本にもどった。不意に人が入ってきそうで落ち着かないので、 ドアに背をむけると愛用のひじかけいすに腰をおろし、時々左手で緑のビロードを撫でながら残りの章を読みはじめた。 人物のイメージや名前がまだ記憶に残っていたので、たちまち小説の架空の世界に引き込まれた。 読み進むうちに、まわりの現実が遠のいていった。 頭はビロードの背もたれにゆったりもたれかかり、タバコは手の届くところにある。 大窓のむこうでは夕暮れの大気が樫の木の下で戯れている。罪深い楽しみを味わっているような気持ちに襲われた。 主人公たちは男女関係がもとでジレンマにおちいっていた。夢中になってストーリーを追って行くうちに、イメージがはっきりと像を結び、 色彩と動きを伴うようになった。彼は二人の人物が山小屋で最後の密会をするところに立ち会った。 最初女が不安そうに入ってきた。続いて男が姿を現わした。男は木の枝で顔に怪我をしていた。女は傷口を舐めて血を止めてやったが、 男はじゃけんに撥ねつけた。


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