エントリーNO.149
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解説文(「岩波文庫解説総目録」より引用)

自己の権利が蹂躙されるならば、その権利の目的物が侵されるだけではなく己れの人格までも脅かされるのである。 権利のために闘うことは自身のみならず国家・社会に対する義務であり、ひいては法の生成・発展に貢献するのだ。 イェーリング(1818-1892)のこうした主張は、時代と国情の相違をこえて今もわれわれの心を打つ。

発行
岩波文庫 2010年4月26日 第41刷
著者名
イェーリング  
タイトル
権利のための闘争 (けんりのためのとうそう)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

  権利=法(レヒト) の目標は平和であり、そのための手段は闘争である。権利=法が不法による侵害を予想してこれに対抗しなければならないかぎり--- 世界が滅びるまでその必要はなくならないのだが---権利=法にとって闘争が不要になることはない。 権利=法の生命は闘争である。諸国民の闘争、国家権力の闘争、諸身分の闘争、諸個人の闘争である。
 世界中のすべての権利=法は闘い取られたものである。重要な法命題はすべて、まずこれに逆らう者から闘い取られねばならなかった。 また、あらゆる権利=法は、一国民のそれも個人のそれも、いつでもそれを貫く用意があるということを前提としている。 権利=法は、単なる思想ではなく、生き生きした力なのである。だからこそ、片手に権利=法を量るための (はかり) をもつ正義の女神は、 もう一方の手で権利=法を貫くための (つるぎ) を握っているのだ。秤を伴わない剣は裸の実力を、剣を伴わない秤は権利=法の無力を意味する。


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