エントリーNO.118
岩波文庫を1ページ読書

解説文(「岩波文庫解説総目録」より引用)

絵を描きたい一念でロンドンの幸福な家庭から突然姿を消した男、 ついには文明社会から逃れて太陽と自然の島タヒチに身をひそめ、 恐ろしい病魔におかされながらも会心の大作を描いて死んで行った男がこの作品の主人公である。 フランスの画家ゴーギャンの生涯にヒントを得て創作したといわれ、モームの代表作である。

発行
岩波文庫 2010年4月26日 第7刷
著者名
モーム  
タイトル
月と六ペンス (つきとろくペンス)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

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 初めてチャールズ・ストリックランドと知り合ったときは、これっぱかりも世間一般の人と違うなどとは思わなかった。 だが、 今日(こんにち) では、あの男が偉大であると認めぬ者はまずいない。 偉大さといっても、運に恵まれた政治家とか、成功した軍人のことではない。 その種の偉大さは地位に付随するものであって、人間の価値とは無関係であり、事情が変われば、偉大でも何でもなくなってしまう。 退職した途端に、名宰相が屁理屈ばかりこねる尊大な男になりさがるとか、 退役した将軍が (いち) の立つ都市の平凡な名士にすぎなくなるといったことは、誰もがよく見聞するところである。 そこへゆくと、チャールズ・ストリックランドの偉大さは本物だった。 彼の芸術を好まぬ人もいるかもしれないが、それでも、何の興味も示さぬということはあり得ない。 彼の絵は見る者の心を掻き乱し、とらえて離さない。かつて彼は 嘲笑(ちょうしょう) の的であったが、もうそんな時代は終わった。 今では彼を弁護するのは風変わりではないし、賞賛するのもつむじ曲がりではない。 彼の短所は、長所に必然的に付随するものとして、容認されるほどの有様だ。


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