エントリーNO.108
岩波文庫を1ページ読書

解説文(「岩波文庫解説総目録」より引用)

芥川が小説、随筆、童話、戯曲と、その才気にまかせてさまざまのジャンルで試みた作品の中から、 広い意味で「子どもむき」と考えられる作品を選び収めた。 この作品群から、機智や逆説や諷刺、そしてまた、 そうした理智の鎧で固められた奥にひそんでいる作者の、少年のような純潔で素直な魂を感じとることができる。
解説=中村真一郎

発行
岩波文庫 2010年4月15日 第27刷
著者名
芥川 竜之介 (あくたがわ りゅうのすけ)  
タイトル
蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ (くものいと・とししゅん・トロッコ) 他17篇  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

  父
 自分が中学の四年生だった時の話である。
 その年の秋、 日光(にっこう) から 足尾(あしお) へかけて、三泊の修学旅行があった。 「午前六時三十分 上野停車場(うえのていしゃば) 前集合、同五十分発車、、、」こういう 箇条(かじょう) が、学校から渡す謄写版の 刷物(すりもの) に書いてある。
 当日になると自分は、 (ろく) に朝飯も食わずに (いえ) をとび出した。電車でゆけば停車場まで二十分とはかからない。 ----そう思いながらも、何となく心がせく。停留場の赤い柱の前に立って、 電車を待っているうちも、気が気でない。
  生憎(あいにく) 、空は曇っている。方々の工場で鳴らす汽笛の () が、 鼠色(ねずみいろ) の水蒸気をふるわせたら、 それが皆 霧雨(きりあめ) になって、降って来はしないかと思われる。その退屈な空の下で、高架鉄道を汽車が通る。 被服廠(ひふくしょう) へ通う荷馬車が通る。店の戸が一つずつ () く。自分のいる停留場にも、 もう二、三人、人が立った。それが皆、 () の足りなさそうな顔を、陰気らしく片づけている。寒い。 ---そこへ割引の電車が来た。
 こみ合っている中を、やっと 吊革(つりかわ) にぶらさがると、 (だれ) (うしろ) ろから、自分の肩をたたく者がある。


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