エントリーNO.476
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悲劇の誕生

解説文(「岩波文庫解説総目録」或いは、表紙より引用)

ニーチェ(1844-1900)の処女作。ギリシア文化の明朗さや力強さの底に「強さのペシミズム」を見たニーチェは、ギリシア悲劇の成立とその盛衰を、 アポロ的とディオニソス的という対立概念によって説く。そしてワーグナーの楽劇を現代ドイツ都市の復興、「悲劇の再生」として謳歌した。 ここには倫理の世界を超えた詩人の顔が見てとれる。

発行
岩波文庫 1983年11月10日 第19刷
著者名
ニーチェ  
タイトル
悲劇の誕生 (ひげきのたんじょう)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

  自己批評の試み
    一
 この疑わしい本の根底に何があるにせよ、ともかくそれは一流の魅力をそなえた第一級の問題であったに相違なく、 そのうえ深く個人的な問題だったことも間違いない、----その証拠は、この本が成立した時期だ。 すなわちこの本は一八七〇〜七一年の普仏戦争という激動の時代にもかかわらず書きあげられたものなのだ。 ヴェルトの戦いの砲声がヨーロッパにとどろきわたっているのに、この本の生みの親となった謎の好きな瞑想家は、どこかアルプスの 一隅(いちぐう) に腰をすえて、 謎を解こうとひどく考え込んでいた。 つまり、大いに頭を悩ませながらも、同時にしごくのんびり構えていたわけなのだ。 彼はその時ギリシア人についての彼の思想を書きおろしたのだが----それこそいま、あとから書きたしたこのはしがき(あるいは「あとがき」)を捧げようという、 奇妙な、近よりにくいこの本の核心をなすものだった。 だが、数週間後には彼自身もメッツの城壁のもとに出陣の身となったが、あいかわらず彼の念頭を去らないものがあった。 それは、ギリシア人ならびにギリシア芸術が「明朗」だといわれていることに対して、彼がかねがねいだいていた疑問だった。


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