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エントリーNO.3
岩波文庫を1ページ読書

           解説文(「岩波文庫解説総目録」より引用)
中勘助(1885−1965)は小説家、詩人、随筆家として極めて独創的な歩みをつづけてきた人である。 幼少年期の可憐な姿を子供だけがもちうる新鮮で鋭い感覚をもって描いたこの作品は、 かつて漱石が未曾有のものと激賞した。 童心の正義と平和と美への強烈なあこがれとそれが容易に得られない悲しみとの織りなすふしぎな美しさ。
               解説=和辻哲郎

発行
 岩波文庫 1998年5月11日 第84刷
著者名
 中 勘助(なか かんすけ)
タイトル
 銀の匙 (ぎんのさじ)
                    上記著作より、本文書き出し1ページを引用

                       前篇
 私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の引き出しに昔からひとつの小箱がしまってある。 それはコルク質の木で、板の合わせめごとに 牡丹(ぼたん) の花の模様のついた絵紙をはってあるが、 もとは舶来の 粉煙草(こなたばこ) でも入ってたものらしい。 なにもとりたてて美しいものではないけれど、木の色合いがくすんで手ざわりの柔らかいこと、 ふたをするとき ぱん とふっくらした音のすることなどのために今までもお気に入りの物のひとつになっている。 なかには子安貝や、 椿(つばき) の実や、 小さいときの (もてあそび) びであったこまごました物がいっぱいつめてあるが、 そのうちにひとつ珍しい形の銀の 小匙(こさじ) のあることをかつて忘れたことはない。 それはさしわたし五 () ぐらいの 皿形(さらがた) の頭にわずかにそりをうった短い柄がついているので、 () あつにできてるために柄の端を指でもってみるとちょいと重いという感じがする。 私はおりおり小箱のなかからそれをとりだし丁寧に曇りをぬぐってあかずながめてることがある。私がふとこの小さな匙をみつけたのは今からみればよほどふるい日のことであった。

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