エントリーNO.436
岩波文庫を1ページ読書
中谷宇吉郎随筆集

解説文(「岩波文庫解説総目録」或いは、表紙より引用)

中谷宇吉郎(1900-62)は雪と氷の研究に新生面をひらいた物理学者として世界的に名高いが、 また多くの秀れた随筆の筆者として知られる。 「雪を作る話」「立春の卵」といった科学随筆、生涯の師とあおいだ寺田寅彦の想い出や自伝的スケッチなど、 どの一篇にも随筆を読む愉しさをたっぷりと味わうことができる。40篇を精選。

発行
岩波文庫 1988年10月25日 第2刷
編者
樋口 敬二 (ひぐち けいじ)  
タイトル
中谷宇吉郎随筆集 (なかやうきちろうずいひつしゅう)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

    雪の 十勝(とかち)
      ----雪の研究の生活----
 初めは慰み半分に手をつけて見た雪の研究も、段々と深入りして、 (かぞ) えて見ればもう 十勝岳(とかちだけ) へは五回も出かけて行ったことになる。 落付(おちつ) く場所は道庁のヒュッテ 白銀荘(はくぎんそう) という小屋で、 泥流(でいりゅう) コースの近く、 吹上(ふきあげ) 温泉からは五 (ちょう) (へだ) たっていない所である。 此処(ここ) は丁度十勝岳の中腹、 森林地帯をそろそろ抜けようとするあたりであって、標高にして千六十 (メートル) 位はある所である。
 雪の研究といっても、今までは主として顕微鏡写真を撮ることが仕事であって、そのためには、 顕微鏡は 勿論(もちろん) のこと、その写真装置から、現像用具一式、簡単な気象観測装置、それに携帯用の暗室などかなりの荷物を運ぶ必要があった。 その (ほか) に一行の食料品からお八つの準備まで大体一回の滞在期間約十日分を持って行かねばならぬので、その方の準備もまた相当な騒ぎである。 全部で百貫位のこれらの荷物を三、四台の 馬橇(ばそり) にのせて五時間の雪道を揺られながら、 白銀荘へ着くのはいつも日がとっぷり暮れてしまってからである。 この雪の行程一番の難関で、小屋へ着いてさえしまえば、もうすっかり 馴染(なじみ) になっている番人のO老人夫妻がすっかり心得ていて何かと世話を焼いてくれるので、 急に田舎の親類の家へでも着いたような気になるのである。


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