エントリーNO.301
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イワン・イリッチの死

解説文(「岩波文庫解説総目録」より引用)

一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ、 死の恐怖と孤独にさいなまれながら諦観に達するまでを描く。 題材には何の変哲もないが、トルストイの透徹した観察と生きて鼓動するような感覚描写は、 非凡な英雄偉人の生涯にもまして、この一凡人の小さな生活にずしりとした存在感をあたえている。

発行
岩波文庫 1984年5月20日 第45刷
著者名
トルストイ  
タイトル
イワン・イリッチの死 (イワン・イリッチのし)  
 
上記著作より、本文書き出し1ページを引用

    一
 メリヴィンスキイ事件公判の休憩時間に、裁判所の大きな建物の中で、判事や検事連がイワン・エゴーロヴィッチ・シェベックの部屋に集まった。 やがて話題は有名なクラーソフ事件に移った。 フョードル・ワシーリエヴィッチは、やっきとなって不起訴を論証するし、イワン・エゴーロヴィッチはまたどこまでも自説を固辞したが、 ピョートル・イワーノヴィッチは、初めから論争に口を容れず、なんのかかわりもないような態度で、たった今もって来たばかりの『 報知(ヴエードモスチ) 』紙に目を通していた。
 「諸君!」と彼は言った。「イワン・イリッチが死んだよ。」
 「へえ?」
 「ほら、読んで見たまえ」まだインキの香のする新しい新聞をさしのべながら、彼はフョードル・ワシーリエヴィッチにそう言った。
 黒い (わく) の中には次のように印刷してあった。
 「最愛の夫、中央裁判所判事、イワン・イリッチ・ゴロヴィン儀、一八八二年二月四日死去致し候間、深き悲嘆の底より親戚 辱知(じょくち) 諸賢に此の段謹告仕り候。


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