上記著作より、本文書き出し1ページを引用
そ の 一
学生の家
地久節には、私は、二,三の同僚と一緒に、 御牧 が 原 へ山遊びに出掛けた。
松林の間なぞを猟師のように歩いて、小松の多い岡の上では大分 蕨 を採った。
それから 鴇窪 という村へ引返して、田舎の中の田舎とでも言うべきところで半日を送った。
私は今、 小諸 の 城趾 にちかいところの学校で君と同年位な学生を教えておる。
君はこういう山の上への春が 奈何 に待たれて、そして奈何に短いものであると思う。
四月の二十日頃にならなければ、花が咲かない。梅も桜も 李 も 殆 んど同時に開く。
城趾の 懐古園 には二十五日に祭があるが、その頃が花の盛りだ。
すると、毎年きまりのように風雨がやって来て、 一時 にすべての花を 浚 って行ってしまう。
私たちの教室は八重桜の樹で 囲繞 されていて、
三週間ばかり前には、丁度花束のように密集したやつが教室の窓に近く咲き乱れた。
休みの時間に出て見ると、濃い花の影が私たちの顔にまで映った。学生たちはその下を遊び廻って戯れた。
殊に小学校から来たての若い生徒と来たら、あっちの樹に隠れたり、こっちの枝につかまったり、まるで小鳥のように。