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エントリーNO.10
岩波文庫を1ページ読書
福翁自伝

           解説文(「岩波文庫解説総目録」より引用)
明治30年、福沢は60年の生涯を口述し、 のちその速記文に全面加筆して「自伝」を書きあげる。 語るに値する生涯、自らそれを生きた秀れた語り手という稀有な条件がここに無類の自伝文学を生んだ。 近代日本の激動期を背景に、常に野にあって独立不羈をつらぬいた精神の歩みが大らかに語られている。

発行
 岩波文庫 2008年12月4日 第58刷
著者名
 福沢 諭吉 (ふくざわ ゆきち)
タイトル
 新訂 福翁自伝 (ふくおうじでん)
                    上記著作より、本文書き出し1ページを引用

   幼少の時
 福沢諭吉の父は 豊前(ぶぜん) 中津奥平藩の士族福沢 百助(ひゃくすけ) 、 母は同藩士族橋本 浜右衛門(はまえもん) の長女、 名を 於順(おじゅん) と申し、 父の身分はヤット藩主に 定式(じょうしき) の謁見が出来るというのですから、 足軽よりは数等 (よろ) しいけれども、士族中の下級、今日で言えばまず判任官の家でしょう。 藩でいう 元締役(もとじめやく) を勤めて、 大阪にある中津藩の倉屋敷に長く 勤番(きんばん) していました。 それゆえ家内残らず大阪に引越ししていて、 私共(わたしども) は皆大阪で生まれたのです。 兄弟五人、総領の兄の次に女の子が三人、 (わたし) 末子(ばっし) 。 私の生まれたのは天保五年十二月十二日、父四十三歳、母三十一歳の時の誕生です。 ソレカラ天保七年六月、父が不幸にして病死。跡に (のこ) るは母 一人(ひとり) に子供五人、 兄十一歳、私は (かぞ) え年で三つ。 () くなれば大阪にも居られず、兄弟残らず母に連れられて藩地の中津に帰りました。

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